おはようございます、

 

中元 礼子です。

 

 

 

先日実家に帰ったときに、

 

毎日片付けをしている母から

 

 

「アルバムを処分するから、

要るものは抜き取っていって」

 

と言われて持ち帰ったのがこの写真。

 

 

 

生まれたばかりの私なのですが、

 

おにぎりみたいというか、

 

南伸坊みたいだなと。

 

 

この南伸坊みたいな赤ちゃんに一刻でも早く会いたいがために

 

父は仕事から帰ってきていたそうです。

 

 

 

玄関にカバンを置き、すぐさま

 

そこに寝ている わが子をを抱っこし外に行ったので、

 

 

洗面所で洗濯をしていた母は

 

いつの間にか布団で寝ていた赤ちゃんが居なくなっている事に動転し、

 

ちいさな家の中をぐるぐる探し回り

 

 

外の物干しざおの下で赤ちゃんを抱っこしている父を見た時は

 

安堵と拍子抜けでヘナヘナと座り込んだという話を、

 

母から何度か聞いたことがあります。

 

 

 

当時の父に

 

一目散で職場から帰らせるほど

活力を与えていたこのおにぎりのような赤ちゃんは今、

 

 

50年後の自分をも微笑ませ

 

「大事に生きなきゃな」と

 

手帳の中で私に活力を与え続けています。

 

 

 

 

 

 

 

生まれたての自分の写真を見つけた事がきっかけで

 

若かりし父の心情に想いを馳せた時に、

 

↑↑この日めくりカレンダーの言葉が目に留まりまして。

 

 

 

 

私は自分ひとりで今に至っているわけじゃないんだなと

 

思い至りました。

 

 

 

 

 

 

 

生きている状態というのは、

 

「思った事を形にできる状態である」

 

ということです。

 

 

 

 

あの人を励ましたいなと思ったら

 

言葉をかけたり、

 

おいしいものを拵えてやったりして

 

 

直接アプローチできる。

 

 

 

 

この世を去り

 

身体を持たなくなったら、

 

 

 

あの人を励ましたいなと思っても せいぜい

 

そよそよとした風を送るとか

 

フッ・・ときれいな花に気を留めてもらうとかしかできず(想像)、

 

 

直接的なアプローチが叶わなくなります。

 

 

 

 

もう、直接何かを伝えることが叶わなくなった

 

先人たちからのバトンを引き継いで

 

 

思った事を形にできる「身体」という

 

乗り船を持っているので 使わなきゃなあと。

 

 

 

 

今日一日で出来る事に

 

いろんな可能性を感じます。

 

 

 

 

 

+++++

 

 

 

それにしても私たちは、

 

 

思考して 考えを形にすることが出来たので

 

 

ここまで発達してきたわけですが、

 

 

 

あらゆる生物がいる中で

 

 

ヒトの立ち位置って

 

 

半分は生きものとしての存続本能を携えつつ

 

半分は自分を越えた精神性をもつ存在でもあるので

 

 

とてもユニークですよね。

 

 

 

 

なぜヒトという種だけが

 

こうしたユニークな在り方をしているのかなーと。

 

 

 

せいぜい何十年でしかない成長時間では

 

辿り着けない問いの答えを

 

求めたい私たちは、

 

 

 

書物にアイディアを記し

 

後進へ”知恵のバトン”をつないできたわけです。

 

 

 

 

さあ。

 

と、バトンを持った私たちは考えます。

 

 

 

 

 

「人に喜ばれると、嬉しく感じる。」

 

 

 

これはどうも、

 

私たちヒトという生き物が根底に持っている

 

こころの働きのようです。

 

 

 

 

その嬉しいと感じる理由は、

 

 

自分の存在が認められたと実感できるから。

 

・・という内向きのベクトルから、

 

 

 

 

相手の幸福を自分の幸福として感じられる。

 

 

・・という外向きのベクトルまで、

 

 

段階はあるにせよ

 

 

どうも我々は、根底では

 

 

自分以外の人が喜ぶことで自分も喜べる生き物のようです。

 

 

 

 

 

ふと、

 

 

”生きがいってなんだろうな”と考える時に

 

ひとつ拠り所となるのが この

 

 

「誰かのために、何かをする」

 

ことなのかなと思ったりしています。

 

 

 

 

そしてもうひとつ、

 

 

ここが大きなポイントなのかなと最近思うのですが。

 

 

 

その誰かとは、どのくらいの人を視野に入れているのか?

 

 

家族が幸せになればOKなのか?

 

会社の皆が幸福であればOK?

 

県ぐらいの規模?

 

日本?

 

いま生きてる人?

 

これから後にこの世界を担う人?

 

 

 

どこまで意識が通っているかによって、

 

 

「どこに自分の軸を持てばいいのか分からない寄るべなさ」から

 

「目的を持つブレなさ」にベクトルが変わってくるように思います。

 

 

 

 

この感覚はちょうど、

 

 

車の運転をする時に近くを見て運転すると不安定だけど

 

ずっと遠くに視点を置いておくと

 

多少のブレに左右されず

 

自然と軌道修正がされていく感じ

 

に似ています。

 

 

 

 

 

 

 

手帳の中のあかちゃんは私だけれど、

 

過去の残像です。

 

 

 

今となっては本人すら微笑ませるこの写真を

 

眺めるたびに思うのは、

 

 

 

”大きな流れの中にいる私たち”

 

です。

 

 

 

 

おそらく

 

私も、あなたも、

 

いま生きている私たちはみな

 

自分が“こんなものだろう・・”と思っている以上に

 

人を喜ばせることができる。

 

 

 

そのことをお伝えしたくてこれを書きました。

 

 

 

それでは本日も、よい一日に。

 

 

 

+++—————————————————————————————+++

発行責任者 中元 礼子



*これまでの配信はこちら

*本日のメルマガに対してのご意見・ご感想はこちらからお待ちしています。

 


*モニターセッションやっています。


⇒「話して整理整頓



*配信停止は下記からできます

 

 

正しく表示されない場合はこちら
このメールは、Prismaからのメール配信をご希望された方に送信しております。今後も引き続きメールの受信を希望される方は こちらをクリック してください。 今後メールの受信をご希望されない方は、こちらから配信停止手続きが行えます。

鹿児島県姶良市蒲生町下久徳63-25


全てのメーリングリストから配信を停止する。 配信停止 | 登録情報更新